ケータイ辞書JLogosロゴ 庵三郎村(近世)


長崎県>福江市

江戸期の村名肥前国松浦郡のうち五島列島久賀島の久賀湾西岸に位置する地名の由来は不詳だが,庵を船の掛り場と解釈して,船の着く土井竈場が3か所(三郎)あることを表わすものとも推測される五島藩領久賀掛に属すキリシタン大名五島玄雅の実家大浜家の所領だったところで,五島藩も延宝年間までは特別扱いをしていたというまた弾圧で棄教させられてもなお塩浜神社の御神体の中には十字架があったといわれている村高は,寛文4年高辻帳では塩竈20石(五島編年史),「天保郷帳」でも20石久賀掛で唯一の塩竈百姓が置かれた地「旧高旧領」には当村名が見えず,久賀島村657石余のうちに含まれており,幕末・維新期までに久賀島村の一部になった現在の福江市猪之木町深浦にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447269
最終更新日:2009-03-01




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