ケータイ辞書JLogosロゴ 飯良郷(近代)


長崎県>宇久町

 年不詳〜現在の行政区名。明治22年神浦村,昭和30年からは宇久町のうち。江戸期には飯良村の一部で,富江領分であった地にあたる。明治43年天理教宇久分教会が芋畑に創設された。農業の改良・振興,天災地変への応急救助,衛生思想普及にあたるために同45年神浦青年団飯良支部が設けられ,大正6年の会員は65名であった(神浦村郷土誌)。明治末期より設置されている婦人会は大正6年神浦婦人会飯良支部として,徳操の養成・実業知識の増進に努め,会員は小学校および高等小学校卒業以上の者と規定されていた(同前)。末申川流域に田畑が形成される純農業地域で,蔬菜栽培・福原オレンジ・畜産が盛んである。昭和40年の世帯数70・人口401。県営畑地帯総合土地改良事業の一環として同57年宇久ダムが完成した。また,町道飯良平古線・山の内線の完成により大きな影響を与えている。宇久ダムは城ケ岳中腹までポンプで揚水し,そこから受益地に灌漑している。総工費39億7,600万円,貯水量67万tで,福原オレンジ畑100ha・桑園60ha・普通畑90haの計250haを灌漑している。同ダムの恩恵を受ける地域は西部・北部へと拡大されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447274
最終更新日:2009-03-01




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