ケータイ辞書JLogosロゴ 井牟田村(近世)


長崎県>森山町

 江戸期〜明治22年の村名。肥前国高来【たかき】郡のうち。佐賀藩諫早【いさはや】領。諫早郷に属す。村高は,「正保国絵図」「元禄国絵図」「天明村々目録」ともに300石余,「天保郷帳」417石余,「旧高旧領」529石余。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」ともに諫早豊前(諫早領)217石余。地内は上井牟田と下井牟田からなる。天保3年の「諫早私領田畑石高帳」によれば,田畑・屋敷の地米217石余,出来田畑の地米110石余で,合計地米高327石余。出来田畑は干潟干拓によるもので,反別は出来田20町余・出来畑2町余・出来島4町余であった。干拓地は諫早湾に面した下井牟田で,元禄15年当時は佐左衛門籠・貞左衛門籠・外釜崎籠など,享保4年には久米山籠,同6年は四番籠,天明年間は永続籠が造成されていた(天保七年新地取調子絵図書載/多良山麓研究)。また下井牟田の北部には安政6年大開(南目大開の一部)が完成した。「旧高旧領」にみられる飛躍的な増石は,大開(反別58町余)の完成によるものと考えられる。下井牟田は上井牟田から分かれたものであるため,氏神は上井牟田の熊野大権現(熊野神社)であった。下井牟田にはその分霊(のち竜宮神)を祀った鳥島神社もあった。上井牟田の星ケ原は寛延3年諫早一揆の指導者若杉春后がもと隠棲した所。明治4年佐賀県,伊万里県を経て,同5年長崎県に所属。同11年北高来郡に属す。明治6年地内鳥島に森山村西部と連合した鳥島学校が開設され,のち鳥島尋常小学校となる。明治22年森山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447432
最終更新日:2009-03-01




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