ケータイ辞書JLogosロゴ 岩殿(中世)


長崎県>加津佐町

戦国期に見える地名肥前国高来【たかき】郡のうち「フロイス日本史」10は,口之津から半里足らずの加津佐の海岸近くにある,少しの樹木を残したむき出しの岩石の小島とそこの洞窟について,次のように記している小島の頂上に達する前に,海に向かって1つの洞窟があり,中に祭壇があって仏像が祀られている洞窟は長さ8ブラサ(実測約20m)・幅5ブラサ(実測約12m),地面は砂で,祠は岩殿と呼ばれている頂上に至る途中にも数多くの祠があり,その下の水が湧いている平地に僧院と仏僧の居宅があるそこは著名な霊場で,狭くて急な坂道には所により鉄輪を鋲で打ち込んであり,その鉄輪から下っている鉄鎖を握りながら洞窟へ進んでゆかねばならない危険な場所であるまたフロイスは,イエズス会副管区長コエリヨ神父がフロイスら数人を伴ってそこへ行き,中に隠してあった各地の寺院の仏像多数を持出して,炊事用の薪に使ってしまったことも書き加えているフロイスは1582年(天正10年)の日本年報の中で同様の記述をしているので,同年のことと知られるが,ここでは小島をイワ(Iua)とし,ジャンクで来たシナ人もここで供物を供え,毎年1回洞窟内で盛大な祭を行うとも記している(イエズス会日本年報上)現在の加津佐町の岩戸山に比定される岩戸山は古名を岩殿山と呼び,観音道場の霊地でフロイスらに破壊された観音像は,行基作との言伝えがあったという(加津佐郷土史・加津佐史話)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447444
最終更新日:2009-03-01




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