ケータイ辞書JLogosロゴ 栄田村(近世)


長崎県>諫早市

 江戸期〜明治22年の村名。肥前国高来【たかき】郡のうち。佐賀本藩領。もとは諫早【いさはや】領であったが,元和7年の佐賀藩の三部上地政策により諫早領から召し上げられたうちの1村。諫早郷に属す。村高は,「天明村々目録」658石余,「天保郷帳」845石余,「旧高旧領」541石余。産土神は歳神社で,もと平氏の城跡に建てられたと伝え,祭神は大年神,正徳元年の創立である。同社には珍しい虫追い行事が伝えられ,源氏の白旗をかざして,田の畦を逃げ回る平氏の赤旗を持った者(田の虫)を「実盛虫は死んだぞ」と叫びながら追いまわし本明川に追いこむものである。源実盛が百姓に殺されたので虫になって稲に祟るという俗説に起因するものであろう。安祥寺は,浄土宗知恩院末寺で,もと円明寺と称し,円明寺という地にあったが,寛永7年佐賀藩主第2代鍋島勝茂の病気平癒祈願をした時に円明寺から現在地に移り安祥寺と称した。真宗佐岳山正福寺は,本尊は阿弥陀如来,大内義隆の重臣山口浄雲の開山で,真津山の久山に20年余住んでいたが,信徒の関係で現在地に移った。住職は21世400余年を経ているという。明治4年佐賀県,伊万里県を経て,同5年長崎県に所属。同9年永昌村を合併。同11年北高来郡に属す。明治22年北諫早村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447539
最終更新日:2009-03-01




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