ケータイ辞書JLogosロゴ 榎津村(近世)


長崎県>新魚目町

 江戸期の村名。肥前国松浦郡のうち。はじめ五島藩領,寛文元年から旗本五島氏知行(富江領)。魚目掛に属す。江戸初期には魚目中(魚目村)の一部であった。村高は,正徳2年高辻郷村帳53石余,うち本高41石余・内検高120石余(五島編年史),「天保郷帳」53石余。元禄元年浜方本百姓20人と見える。天満宮,権現堂福寿坊,山中観音がある。ほかに正保年間紀州佐野の漁師らとともに来た佐野西照寺2世残雪の開基である浄土真宗西派正光山元海寺と真言宗蔵伝庵がある。はじめは一漁村に過ぎなかったが,富江領になってから青方にあった代官役所がここに移され,堀切村に住していた役人らをはじめ村人も移り住むようになり,魚目掛の中心地となった。役所のほか,代官屋敷,庄屋屋敷がある。教育も他国からの浪人,神職,僧侶,藩校で修学してきた士分格の者によって行われ,特に医師小野謙益は万延元年私塾清風庵を設けて医業の傍ら授業がなされた。鯨組の納屋もあった。「旧高旧領」には村名が見えず,魚目村390石余のうちに含まれており,幕末・維新期までに魚目村の一部になった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447556
最終更新日:2009-03-01




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