ケータイ辞書JLogosロゴ 延命町(近世)


長崎県>平戸市

江戸期〜明治11年の町名江戸期は平戸城下本町通十六町のうちの1町また,平戸城下本町通六町の1つである浦の町に属する1町でもあった平戸城の北西,城下町の北西端にあたり,志々伎谷の山すそに位置する一部が本町通りに面するものの,海岸側に至る町屋はない明人井戸と称する六角形の井戸が路地裏に現存し,また彼らの信仰にかかわるという応永年間建立の観音院が中の御館にあったところから,当初は中国人居留地であったという(華僑生活)長さ半町・幅2間の延命通りは,海外交易時代から石畳が敷かれ,川崎屋助右衛門・判田五右衛門などの豪商が軒を並べた(史都平戸)寛政4年の六町図によれば,町内には乙名格・惣領格の住居が数軒ずつあり,町年寄格は見当たらないまた村境となる志々伎谷入口に番所が設けられている町を構成する職種は麹屋・油搾・搗米屋・穀物屋・米中師などの食料加工業や穀物取引者,豆腐・素麺温飩・飴屋・刻煙草などの食嗜好品店,提灯張・桶屋・左官・打綿屋などの諸職人に大別されるほかに日雇者が10名ほどおり,海外交易時代とは一転して平戸城下の下町的諸相を呈していた明治11年平戸町に属し,浦の町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447577
最終更新日:2009-03-01




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