大窪村(近世)
江戸期の村名肥前国松浦郡のうち相浦川上流域,小塚岳の南西麓に位置する地名の由来は窪地の地形にちなむ当地は湧水や湿地の多い地すべり地形を示している平戸藩領「慶長9年惣目録」には当村名が見えず,江戸初期には柚木【ゆのき】村の一部であったが,「元禄12年郷村帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」では柚木村とは別に当村名が見え,江戸前期に柚木村から分村して成立したと考えられる「元禄12年郷村帳」では相神浦村枝村と注記されている村高は,「元禄12年郷村帳」193石余,「天保郷帳」274石余「旧高旧領」には当村名が見えず,柚木村1,892石余のうちに含まれているとみられ,幕末・維新期までに再び柚木村のうちに含まれることになった以後,当地は柚木村下岳免・筒井免などと呼ばれるようになったと思われる柚木村の北部一帯にあたり,現在の佐世保市上柚木町・筒井町などの地にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447623
最終更新日:2009-03-01