ケータイ辞書JLogosロゴ 太田江郷(近代)


長崎県>宇久町

 年不詳〜現在の行政区名。明治22年平村,昭和24年平町,同30年からは宇久町のうち。昭和40年の世帯数89・人口397(男185・女212)。農業地域で,米・麦の生産を主とするが,出稼ぎとの兼業経営である。出稼ぎの歴史は古く,明治末期〜大正期にかけては,ほとんど県内・県外の炭鉱に就労,大正末期〜昭和期にかけては,炭鉱以外の土木工事に従事し,第2次大戦後は遠く関東方面など各地に就労している。明治21年野方郷の方正小学校と木場郷の祜播小学校が合併し,当地に野方小学校を創設したが大正7年廃校,児童は宇久小学校へ移った。昭和26年10月13日夜,三浦海岸へ当時の豪華船であった元関釜連絡船金剛丸が,進駐軍兵士を乗せて朝鮮半島より佐世保に向かう途中,台風で針路を誤り座礁した。島民はこのような大きな船を見ることは少なかったので驚き,座礁の話題は長く続き,今でも金剛丸座礁のことを知る者は多い。民俗行事には長い歴史をもつものも多いが,人手不足と継承者の流出で絶えてしまった。郷民によって葬式・法事の時唱える詠歌の一種のジンレーや盆に舞う念仏踊のカインココなどは代表的なものである。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447650
最終更新日:2009-03-01




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