ケータイ辞書JLogosロゴ 沖之島村(近世)


長崎県>伊王島町

 江戸期〜明治22年の村名。肥前国彼杵【そのぎ】郡のうち。佐賀藩深堀領。深堀郷に属す。「元禄郷帳」「天明村々目録」「天保郷帳」などの郷帳類には村名が見えないが,佐賀藩の史料である「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」には沖之島と見える。幕府に対しては一村として届け出ていないが,佐賀藩領内では独立した村として扱われていた。なお,「郡村誌」によれば,もとは深堀村の属島で,元禄年間に分村したという。村高は不詳。「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」にも村名が見えず,地米高も不詳。文化・文政年間以降の人口は,約120〜130(伊王島村郷土史)。深堀・香焼のキリシタンが弾圧によって当地の馬込地区に避難し潜伏した。明治初年禁教令の解除によってカトリックに復帰し,多くの神父・修道女を輩出している。遠見山には遠見番所があった。明治4年佐賀県,伊万里県を経て,同5年長崎県に所属。同11年西彼杵郡に属す。明治5年深堀村に合併し,当地は深堀村沖之島名と呼ばれたが,同13年再び分離して沖之島村となった。明治7年赤痢が流行し,また台風の被害も甚大であった。「郡村誌」によれば,村の幅員は東西8町余・南北12町余,地勢は「村ノ南遠見岳稍ヤ高フシテ南ニ向テ低下ス,四面海ニ瀕ス,運輸便利,薪炭共ニ乏ク他ニ仰テ以テ給ス」とあり,税地は田6畝余・畑8町余・宅地2町余・山林11町余・原野1町余の合計24町余,改正反別は田9畝余・畑24町余・宅地1町余・山林23町余・藪2町余・秣場1町余・船曳場8畝余の合計53町余,地租は金278円余,国税金は14円余,改正租金は40円余,戸数は本籍130,人口は男312・女333の合計645,牛4,船20(50石未満漁船),古跡として遠見番所跡があり,民業は農業103戸・工業2戸・商業8戸・漁業17戸,物産の産出高は米7斗5升・麦37石余・大豆5斗余・甘薯3万5,550斤・雑魚2万7,200斤,輸出高は雑魚2万7,200斤で長崎港へ輸送すると記される。明治22年伊王島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447725
最終更新日:2009-03-01




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