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- 桶屋町(近世)とは
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桶屋町(近世) 江戸期~明治初年の町名八代【やつしろ】城下八代町の一町で町人町八代城の南東に位置する町名は桶屋職人の居住地であったことに由来江戸初期加藤正方が城代であった時の絵図面(県立図書館蔵)には,薩摩街道筋の横町に当町のことと思われる樽屋町が見える文化元年の町屋配置図によれば,同街道筋である本町の久保里から北の長町へ通じる町筋が当町で,樽屋町とされた町筋より1筋西となっている(八代市史)同図によると,家数は釜屋町(金屋町)・本町・細工町と下魚の棚(魚屋町)を合わせて186(八代市史)明治初年前川町の一部となる現在の八代市本町1~4丁目のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桶屋町(近世) 江戸期~明治7年の町名滋賀郡のうち江戸期は俗にいう大津100か町の1つで,幕府領中町通りの石橋町と浜町通りの東今颪【ひがしいまおろし】町との中間に東西に長い町であった東は元会所【もとかいしよ】町から北国町に至る通りを桶屋町通りといった桶屋町文書によれば「往古より荒地土手原の場所」で慶長年間町造りをした時には桶屋ばかり居住していたが天明6年には18軒になったというこの町は船頭町とともに無役であった自治組織は石川町組明治5年滋賀県に所属同7年船頭町に合併現行の大津市長等【ながら】2~3丁目のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桶屋町(近世) 江戸期の町名高岡桶屋町とも称した加賀藩領慶長14~19年は高岡城下のうち高岡古城の西に位置する町名は町立て当時桶職人が多かったことによる(高岡町由緒聞書)正徳3年上桶屋町・下桶屋町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」