ケータイ辞書JLogosロゴ 小浜郷(近代)


長崎県>宇久町

 年不詳〜現在の行政区名。明治22年神浦村,昭和30年からは宇久町のうち。昭和40年の世帯数215・人口804(男392・女412)。明治31年小浜尋常小学校は神浦尋常小学校の分校となったが,同34年再び小浜尋常小学校として独立。以来児童数は増加,大正7年には201名の児童数をもつようになった。その後人口流出が激しくなり,昭和42年児童数が118名に減少し,同43年神浦小学校へ統合され廃校となった。現在当地は,福浦・中村・長野・蒲浦・下山東・下山西の6集落に分かれ,多少異なるが各集落とも高齢者が多く,古い慣習や行事を継承している。例えば,虫送りの「ムシエー」をはじめ「愛宕さま」「弘法さま」「初祈祷」などである。農業は米・麦・甘藷中心であったが,近年はふるわず,福原オレンジ栽培も減少した。半農半漁・船員・出稼ぎ中心の集落もある。特に蒲浦は船員の多いのが1つの特色である。大正末期から下関市の市河鉄工所経営の手繰船の漁夫を送り出していた。その後,地元出身の船員に船長・機関長が誕生し,彼らを縁に全集落的規模で下関以西の底引漁業への漁夫出稼ぎが始まる。昭和初期には,中国青島方面への外地出稼ぎに発展した。昭和10年蒲浦出身の井戸氏・角村氏が機船底引を経営し,同集落の漁夫60〜70名が船員となった。これは第2次大戦後廃されたが,現在も漁業・海運業への出稼ぎが多い。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447764
最終更新日:2009-03-01




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