ケータイ辞書JLogosロゴ 可須郷(古代)


長崎県>勝本町

 平安期に見える郷名。「和名抄」壱岐島壱岐郡七郷の1つ。「壱岐国史」では,「何周【かす】駅馬五疋,優通より凡五里,同島同郡可須郷なり」とある。何周は「延喜式」の駅家の地である。当時,島の南端の優通から国府を通り,何周からさらに船で対馬府中に至るルートが古代における2島路の本道であった。「壱岐国史」は,「何周は,壱岐氏が海人族を率いて海上に活動した時代から,壱岐島が往きの島として,海上活動者に頼られた港であった。筑前と対馬の中間の要港として,中津の神が祀られた。式内名神大社の中津神社の起源であった」とする。同社は現在の勝本浦の聖母神社である。現在の勝本町の勝本浦・東触・仲触・西戸触・北触・新城東触・新城西触・片山触などを含む地域に比定される(壱岐国史)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447836
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ