ケータイ辞書JLogosロゴ 加津佐村(中世)


長崎県>加津佐町

 鎌倉期〜戦国期に見える地名。肥前国高来【たかき】郡のうち。高来東郷に属す。上総村・賀津佐村・上津佐村とも見える。正安2年閏7月13日沙弥時阿請文によると,大河延幸が横田尾の屋敷について加津佐地頭代に通達している(大川文書/鎌遺20523)。加津佐村の属する高来東郷には寛元2年以前より東国御家人越中氏が惣地頭として入部し,また建長6年〜文永2年の間に同じ東国御家人の安富氏が高来東郷内深江村小地頭として入部した。深江村の所務をめぐって越中氏と安富氏とは訴訟を続けている。加津佐村は深江村と一体の関係にあったため同様の訴訟に巻き込まれたが,永仁5年9月7日鎮西下知状によれば,鎮西探題はまず安富氏の主張をいれて,永仁5年以前には加津佐村を別納の地と認めている(深江文書/鎌遺19447)。元応元年9月6日にも深江村の本年貢をめぐって両者間の訴訟の判決が下っているが,内容は深江村についても安富氏の訴えをいれ,別納を再確認するものであった(深江文書/佐賀県史料集成4)。こうして加津佐村における安富氏の支配権が強化されたと考えられる。南北朝期に入り,貞和2年6月12日高師直奉書によれば,室町幕府によって加津佐村半分が料所として開田佐渡二郎に預け置かれており(同前),延文4年4月20日には同村田地13町が将軍足利義詮によって天下安全を祈願して多比良村四面社に寄進され,これを受けて同年9月2日室町幕府御教書が出されている(松尾貞明氏所蔵文書/南北朝遺4107・4135)。しかし島原半島南部のこの一帯は南朝側にくみした有馬直澄の支配が強かったとみられる。直澄は大智禅師に帰依し,正平13年6月23日加津佐村内に伽藍敷地を寄進した(広福寺文書/南北朝遺4050・4051)。水月庵円通寺である。大智は,正平17年8月22日某寄進状には「加津佐村双桂山聖寿禅寺長老」と見える(同前/南北朝遺4387)。正平16年11月2日,直澄は加津佐村の田地・屋敷を禅古御房に沽却し(同前/南北朝遺4319),正平21年12月9日,大智は円通寺を含む3か寺を禅古上人に譲与した(同前/南北朝遺4653)。現在加津佐町には円通寺の遺跡や大智の墓が残っており,南北朝期の当地の思想的状況の上に大智禅師の果たした役割は大きい。下って戦国期,1582年(天正10年)頃にはキリシタンがいた。フロイスは同年の日本年報の中で,口之津からイエズス会の神父が毎日曜日に半里離れた加津佐に行ってミサをあげ,説教をしたが,その地にはすでに会堂が1か所あったとしている(イエズス会日本年報上・フロイス日本史10)。その折,信者を増やそうと海辺の小さな漁村の人々に説得が始められたが,そこの住民たちは海賊であり,掠奪で身を立てているので,納得させるのに手間がかかったものの,結果として多数の受洗者があった,とある(フロイス日本史10)。1584年の有馬・島津軍と竜造寺軍の戦いの頃にはイエズス会副管区長コエリヨ神父がこの地におり,その後も滞在して,高来・長崎地方の事務と豊後・都の事務を処理し,1590年(天正18年)にここで死去した(1585年の日本年報下布教区の分/イエズス会日本年報下,フロイス日本史10・11)。それに加えて,豊臣秀吉のバテレン追放令のため,長崎でイエズス会士の滞在が不可能となったので,一時この地が事実上イエズス会の本拠としての機能を果たした。追放令後,加津佐には神父3名・修道士3名が滞在した。コエリヨ神父は1589年(天正17年),加津佐の地を管理する貴人に対し,加津佐の土地の1か所と家屋を神学校の少年たちに貸与されたいと願い出て,聞き届けられた。すなわち都(京都)と下【しも】のイエズス会神学校(セミナリオ)が合併して八良尾(北有馬町)に置かれていたのが,1589年5月〜1591年(天正19年)4月の間に加津佐に移された。この神学校は1591年5月頃再び八良尾へ,1595年(文禄4年)に有家【ありえ】へ移転した(フロイス日本史11・12)。また学院(コレジオ)も有家からこの地へ移転してきた。その期間は正確には分かっていないが,1590〜91年である。この学院は1591年に天草に移された。1590年少年使節を連れて再来日したイエズス会巡察師ヴァリニャーノ神父は,同年加津佐にイエズス会士を集め,第2回日本イエズス会総協議会を13日間開催した(フロイス日本史12)。巡察師がもたらしたヨーロッパの活字印刷機は学院に設置され,まず1591年「サントスの御作業のうち抜書」がローマ字日本文で出版された。学院の移動とともに印刷所も天草,次いで長崎へ移転し,キリシタン版として加津佐版・天草版・長崎版が残されている。なお,1600年(慶長5年)には,有馬の教会に付属して,有家・島原・千々石・西郷とともに加津佐の司祭館も存続していた(一六〇〇年度耶蘇会年報/県史史料編3)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447860
最終更新日:2009-03-01




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