ケータイ辞書JLogosロゴ 樺島村(近世)


長崎県>野母崎町

 江戸期〜明治22年の村名。肥前国高来郡のうち。幕府領。長崎代官支配地。村高は,「天保郷帳」62石余,「旧高旧領」63石余。浄土宗光明山無量寺は,寛文11年の創立で,開祖法孫,開山は知秀という。明治元年長崎府を経て,同2年長崎県に所属。同11年西彼杵【にしそのぎ】郡に属す。明治7年樺島小学校を開設。同18年野母村と連合した。「郡村誌」によれば,村の幅員は東西15町・南北22町,地勢は「東南西ノ三面ハ恰モ屏風ヲ立タルガ如ク土地一般高ク,唯北方港湾ニ瀕スル所僅ニ平地アルノミ,此島海上遠ク之ヲ望メバ山巓恰モ鋸歯ヲ植ルガ如シ,故ニ古来唐船ノ本朝ニ来ル者之ヲ呼デ鋸山ト云,以テ其航海ノ目標トス〈鋸山ハ猶房州鋸山ノ類歟〉,水利乏ク,運輸不便,薪炭共ニ他ニ仰グ」,地味は「其色黒,其質軽浮,稲粱ニ適セズ,水利乏ク,動モスレバ旱ニ苦ム」とあり,村内は新町・古町に分かれ,税地は田2町余・畑11町余・宅地1町余・山林7町余・秣場5町余の合計28町余,改正反別は田2町余・畑55町余・宅地4町余・山林42町余・藪8町余・秣場18町余・物干場1町余などの合計133町余,地租は金69円余,国税金は94円余,改正租金は186円余,戸数は本籍292・寄留3・社3(村社1・雑社2)・寺1の合計299,人口は男522・女617の合計1,139,船50(50石未満荷船10・同漁船40)。また,港として樺島港,渡しとして脇津渡があり,新町には樺島郵便局が所在,学校は古町に樺島小学校が設置され,生徒数は男38・女11,神社は村社の熊野神社のほか金刀比羅神社・住吉神社が鎮座し,寺院は浄土宗光明山無量寺があり,名勝として白岳の洞穴があげられ,民業は農業156戸・商業69戸・工業16戸・漁業18戸,物産は米11石余・麦76石・大豆4石余・甘薯17万斤(うち輸出4,000斤)・鰤1,200尾(すべて輸出)・鮪200尾(すべて輸出)・鱪2万尾(すべて輸出)・鰡3,500尾(うち輸出3,000尾)・雑魚8万斤(うち輸出4万斤)で,輸出品の輸送地は熊本・佐賀・柳川・長崎・高島などであると記される。明治22年市制町村制施行による樺島村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447875
最終更新日:2009-03-01




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