ケータイ辞書JLogosロゴ 唐洲村(近世)


長崎県>豊玉町

 江戸期〜明治41年の村名。対馬国下県【しもあがた】郡のうち。対馬藩領。仁位郷に属す。寛永15年の「毎日記」に「からす」と見える(県史藩政編)。村高は,「寛文検地帳」31石余(県立対馬歴史民俗資料館蔵)。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」にも村名が見えるが,村高は記載されていない。正保2年の物成は,烏村として84石余,うち籾4石余・麦80石余(対馬二郡物成/宗家文書)。元禄12年郷村帳(県史藩政編)によれば,物成82石余,戸数32・人数144(10歳以上),給人2・公役人14・肝入1,牛27・馬5,船3,寺1・社1。明和5年公儀役人廻村答書によれば,肝煎弥三兵衛,頭百姓左吉,年貢は夏石51石余・秋石8石,戸数20・人数144,また「鰯漁少々仕申候」「薪・材木共取出不申候」とある(宗家文書)。寺院は禅宗普明寺がある。当浦は和泉国佐野の鰯網方の請浦で,対馬62浦の内でも優れた浦で,長く佐野網方の操業が続き,杉浦の元島神社(妙見社)境内に灯籠などを奉納している。明治4年厳原【いずはら】県,伊万里県,同5年佐賀県を経て,長崎県に所属。「郡村誌」によれば,村の幅員は東西約13町20間・南北約7町50間,地勢は「本村亦仁位郷ノ西端ニアリテ廻村ト併セテ其半島形ヲ全ウス,村ノ中央ニ菅江岳峙チ,西方廻村界ノ鷹ノ屋岳ト相対立ス,内外ニ海水ヲ受クルト雖モ道途粗悪ニシテ運輸不便ナリ,薪炭乏シカラザルモ亦余裕アルナシ」,地味は「其色灰白,其質軽墳,稲・粱・桑・茶ノ類廻村ト同ジ,甘薯・麦種僅ニ民生ヲ資ス,水利乏ク常ニ旱ニ苦ム」とあり,税地は田4町余・畑19町余・宅地4反余・山林4町余の合計28町余,改正反別は田3町余・畑19町余・宅地1町余・山林93町余・原野2町余などの合計120町余,地租は米7石余・麦54石余,国税金は1円余,改正租金は107円余,戸数は本籍33,人口は男88・女86の合計174,牛28・馬33,船23(艀船6・耕作船17)。また,神社は元島神社が鎮座,寺院は曹洞宗火消山普明寺があり,学校は仁位学区唐洲分校が設置され,生徒数は男8,古跡として菅藺ノ浜をあげ,民業別戸数は農業30・工業2,物産は米14石・麦158石余・大豆5石余・小豆1石・蕎麦16石・粟1石余・甘藷3万1,000斤・綿18斤,ほかに厳原港への移出品として鯣320斤・干和布6,000斤・布海苔560斤と記され,干鰛500斤のうち400斤は廻村に輸送とある。同24年の幅員は東西3町・南北3町,戸数39・人口186(男90・女96),厩31,寺院1,学校1,小船30(徴発物件一覧表)。明治41年奴加岳【ぬかだけ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447919
最終更新日:2009-03-01




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