ケータイ辞書JLogosロゴ 北有馬村(近代)


長崎県>北有馬町

 明治22年〜昭和44年の南高来郡の自治体名。大字は編成せず。折木名・坂上下名・西正寺名・今福名・谷川名・田平名の行政区がある。谷川名に村役場を設置。明治24年の幅員は東西1里28町・南北1里11町,戸数1,305・人口7,285(男3,696・女3,589),厩783,寺院2,学校4,水車場15,小船5(徴発物件一覧表)。遍昭山光明寺は明治24年願心寺より分派した。高等小学校は,南有馬村・北有馬村・西有家【にしありえ】村・東有家村・堂崎村・布津村6か村の組合立第七高等小学校を東有家村に設置。明治28年通学不便のため分離し,南有馬村・北有馬村組合立とし,両村の中央にあたる南有馬村古園に有馬高等小学校を設立。同45年組合を解散し,今福尋常小学校に高等科を併置し北有馬尋常高等小学校と改称した。大正6年村内の各小学校に農業補習学校を設置。大正4年の「長崎県大観」によれば戸数1,115・人口7,247,学校は北有馬尋常高等小学校・相平尋常小学校・西正寺尋常小学校・坂下尋常小学校・折木尋常小学校があり,児童数は合わせて1,109(男564・女545),官公署には北村役場・北有馬郵便局,神社は春日神社,寺院には真蔵寺・願心寺・光明寺があった。また特産物として柳行李3,250個・2,925円,バスケット類500個・300円が記される。同6年の産業別戸数は農業1,016・商業22・工業44・その他22である。工業は,鍬・鎌など農具鍛冶屋程度であり,小学校教員を除いてすべて農業との兼業である。女子は大阪府に44,岡山県に36と紡績工場への就職が多いのが目につく。世帯数・人口は大正9年1,202・6,264,昭和10年1,162・6,228,同25年1,431・8,094,同35年1,373・7,186。昭和44年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447977
最終更新日:2009-03-01




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