ケータイ辞書JLogosロゴ 香焼村(近代)


長崎県>香焼町

 明治31年〜昭和36年の西彼杵郡の自治体名。深堀村香焼が分離して成立。大字は編成せず。世帯数・人口は,大正9年853・3,984,昭和10年425・1,911,同25年1,952・8,895。大正4年の「長崎県大観」によれば,戸数530・人口3,000,学校は香焼尋常高等小学校があり,児童数は564(男378・女186),官公署には村役場・村巡査駐在所・安保巡査駐在所・長浜巡査駐在所・灯台・砲台・郵便局,神社は岩立神社・堀池神社・日之山神社,寺院には香焼山円福寺,ほかに明治26年創業の山下コークス工場,同34年創業の松尾長浜造船所があった。また特産物として石炭9,112万4,000斤・代15万円,コークス1,352万斤余・代11万円,名勝旧跡として香焼の大師が記される。明治32年大阪舎密工業が香焼炭坑社を買収し香焼コークスも経営する。同35年松尾鉄工所が進出し,造船産業がおこる。石炭はコークスの原料として大阪に送られたが,採炭を行う坑夫の労働条件は苛酷であった。明治34年香焼炭鉱で坑夫300人が暴動を起こす。日露戦争によるコークスの需要の増大は,納屋制度に束縛される坑夫たちに重労働を強要するが,大正5年鈴木文治の来島を機に九州初の労働組合である友愛会香焼支部を結成,同9年香焼安保炭坑で友愛会指導の争議が起こり納屋制度廃止を要求した。同14年第1次大戦後の不況に伴い松尾造船所閉鎖,同15年大阪舎密香焼坑中止。昭和11年川南工業が松尾造船所を買収,第2次大戦中は海軍管理工場の指定を受け発展,香焼炭鉱も昭和13年川南工業が再開し,第2次大戦が始まると再び石炭・コークスの需要がのびた。しかし戦後生産性の低さから経営が悪化し,続く神武景気でもちなおしたものの出炭量が減少した。昭和22年川南工業でおこった77日間のストライキは,東宝ストとならんでわが国の二大労働争議といわれる。同年香焼中学校開校,同30年川南造船所倒産,安保炭坑閉鎖。同36年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448137
最終更新日:2009-03-01




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