ケータイ辞書JLogosロゴ 小口浦(近世)


長崎県>琴海町

江戸期の村名肥前国彼杵【そのぎ】郡のうち大村湾の南西部,形上湾を抱く南北5kmの尾戸の小半島の先端に位置するここと鵜瀬島との間にわずかに一条の小口瀬戸が通じており,すぐ南の大口瀬戸の大口に対しての小口(瀬戸)にあたり,これが地名の由来である他所から移住して半漁半農による開発がほんの数戸で始められたのは,延宝初年のことという大村藩領地方【じかん】地区に属す「元禄郷帳」「天保郷帳」には村名が見えず,「大村郷村記」に「形上村之内」として形上・尾戸の各村とともに小口浦の名が見える形上村の枝村の1つであったが,幕末には一定度独立した村として扱われることもあったのであろう村高は,文久2年内検高6石余,うち田高はなく畠高のみ(大村郷村記)「大村郷村記」によれば,文久2年の村況は,東西2町余・南北4町余,広さ16町余,うち田地1反余・畠地2町余(うち切畠2町余)・山林野13町余,ほかに鵜瀬島は東西9町・南北2町余,広さ28町余,うち田地1反余(すべて尾戸村分)・畠地4町余(うち尾戸村分2畝余)・山林野24町余,内検高の内訳は蔵入地6石余・西海村分蔵入地1升余・水主畠3斗余,年貢上納は米12俵余・銭100文・銀149匁余,竈数47,うち小給2・浦百姓16・浦間百姓27・私領2,人数245(男117・女128),宗旨別人数はすべて法華宗,牛15,運上を納める諸職業の軒数は,糀屋株1・揚酒株1,販売商品として芋・魚類をあげ,村内には小口浦があり,船数34,神社は当浦鎮守の観世音・恵美須・山神があると記される「旧高旧領」には当村名のみならず形上村の名も見えず,当地を含めて形上村全体が長浦村921石余のうちに含まれているとみられ,幕末維新期までに長浦村の一部となったなお,明治18年の「郡村誌」では長浦村尾戸郷の小字の1つとして小口の名が見える現在の琴海町尾戸郷小口を中心とした地にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448165
最終更新日:2009-03-01




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