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- 小崎村(近世)とは
「小崎村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 小崎村(近世) 江戸期~明治8年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小崎村(近世) 江戸期~明治9年の村名下益城【しもましき】郡のうち岳平山南麓に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」248石余,「正保郷帳」も同高でうち田114石余・畠134石余,「天保郷帳」248石余,「旧高旧領」361石余「肥後国誌」では砥用【ともち】手永に属し,高361石余小村に西村・南村・白谷村・迫村・辻村・木下村・堀口村・川上村・早津村・安養寺村が見え,天台宗の古跡安養寺跡がある小崎神社の祭神は八代妙見宮の姉姫という同社の木製鳥居に元禄11年と刻まれているという熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年川越村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小崎村(近世) 江戸期~明治9年の村名阿蘇郡のうち阿蘇外輪山南東部,川走川上流左岸に位置する江戸末期までに草ケ部村から分村して成立したと思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」287石余「肥後国誌補遺」では野尻手永に属し,高278石余熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年草部【くさかべ】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」