ケータイ辞書JLogosロゴ 西郷村(近代)


長崎県>瑞穂町

 明治22年〜昭和31年の南高来郡の自治体名。西郷・伊古の2か村が合併して成立。大字は編成せず。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛の行政区がある。明治24年の「徴発物件一覧表」には西郷の幅員東西8町・南北2里15町,戸数575・人口2,971(男1,451・女1,520),厩345,寺院1,学校3,水車場9,大船5・小船52,伊古の幅員東西8町・南北9町,戸数100・人口516(男252・女264),厩63,寺院1,水車場2,小船16とある。同26年の「南高来郡町村要覧」によれば,西郷・伊古の合計戸数683・人口3,616(男1,762・女1,854),馬456,田257町8反余・畑195町7反余・山林官有民有合計414町8反余,学校は尋常西郷小学校(生徒数176),神社11,仏寺は,円福寺・宝池寺,消防組2。また職業別戸数は清酒醸造3・絞蝋7・米仲買1・居商55,樟脳製造2所,職工は大工12・桶工5・石工3・木挽職3など。物産では馬・木蝋・蜂蜜・菜種・大豆・櫨実(10万斤)が記される(島原半島史)。進藤伊織の次男で養子である当村出身の原口要は明治8年文部省より第1回アメリカ留学生として派遣され,フィラデルフィアの鉄道工事を担当し同鉄道を完成させた。また,同15年日本の鉄道工部技長,東海道・東北・信越・奥羽・中央の各鉄道の指導を行う。同21年日本で最初の工学博士,同38年清国鉄道顧問官となり,中国の鉄道敷設に貢献,鉄道王と呼ばれた。大正4年の「長崎県大観」によれば,戸数628・人口4,525,学校は西郷尋常高等小学校があり,児童数は570(男240・女330),官公署には村役場,神社は八幡神社・岩戸神社・熊野神社,寺院には円福寺・宝池寺があった。また特産物として米穀が記される。世帯数・人口は大正9年668・3,592,昭和10年649・3,675,同25年886・5,110。昭和31年瑞穂村の一部となり,当村の各行政区は西郷を冠称して瑞穂村の行政区に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448248
最終更新日:2009-03-01




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