ケータイ辞書JLogosロゴ 堺目(中世)


長崎県>生月町

戦国期に見える地名肥前国松浦郡のうち平戸地方では1550年代(天文19年〜永禄2年)には松浦家の反キリシタン政策のため城下の布教ははかどらなかったが,改宗した家臣の籠手田一族が庇護したため,その所領で信仰が定着した生月島の堺目もその1つである1564年(永禄7年)から平戸に宣教師が常駐するようになると,しばしば信徒の拠点を巡回するようになった例えば1566年(永禄9年)初めには,生月島では生月(舘浦か)・山田・一部とともに,堺目(Sacayme)と称する「ドン・アントニオ〈籠手田安経〉の村」へ平戸城下からコスタ神父とフェルナンデス修道士が赴き,2日滞在して信徒の告白を聴いたが,生月と堺目の信徒は一部(Ychibu)まで同行して告白を聴いてもらった,とフェルナンデスの書簡に見えている(1566年3月3日ゴンサルベス書簡・同年9月15日フェルナンデス書簡/通信下)現在の生月町生月の通称堺目に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448265
最終更新日:2009-03-01




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