ケータイ辞書JLogosロゴ 佐々村(近世)


長崎県>佐々町

 江戸期〜明治22年の村名。松浦郡のうち。平戸藩領。田平筋郡代支配下佐々四か村のうちの1村で,その中心村落。村高は,「慶長9年惣目録」2,162石余,「元禄12年郷村帳」915石余,「天保郷帳」2,011石余,「旧高旧領」では佐々里村と見え4,605石余。「元禄郷帳」「元禄12年郷村帳」「天保郷帳」では江戸初期に当村のうちにあったと考えられる古川村・志方村・木場村・市瀬(一之瀬)村・神田【こうだ】村・高峰村・長串【なぐし】村が当村とは別に記載されており,また「元禄12年郷村帳」では古川村を除くこれらの村に「佐々村枝村」と注記され,古川村には「佐々村之内新田新村」と付記されており,江戸前期に当村から分村したことが知られる。また,「元禄12年郷村帳」には当村の浦分として無高の小浦の名が見える。しかし,「旧高旧領」にはこれらの村名が見えず,幕末・維新期までに木場村・古川村・志方村は再び当村の一部となり,神田村は市瀬村の一部に,高峰村は吉田村の一部に,長串村は鹿町村の一部となった。地内を平戸街道が通り,街道の長さは南の中里村から市瀬村まで1里半であった。小浦免には塩田があり,現在もその跡が残る。明治4年平戸県を経て,長崎県に所属。同11年北松浦郡に属す。「郡村誌」によれば,村の幅員は東西約1里10町・南北約24町,地勢は「東ハ大岳ヲ負ヒ,西ハ古川山ニ面ス。南平田ニシテ海水ヲ控キ,北又山岳ニシテ斜ニ坤位ニ亘リ,一帯ノ平田ヲ通ス,運輸不便,薪足リ炭乏シ」,地味は「其色黒,其質上,稲粱ニ宜ク糸麻ニ適ス,水利便ニ旱ニ苦ムコト少シ」とあり,村内は沖田免・本田原免・中川原免・志方免・市場免・須崎免・小浦免・口石免・迎木場免・石木場免・栗林免・平野免・野寄免・木場免・古川免・羽須和免に分かれ,税地は田268町余・畑42町余・山林22町余の合計334町余,改正反別は田366町余・畑124町余・宅地26町余・山林203町余・原野102町余の合計824町余,地租は米1,294石余・金18円余,国税金は28円余,改正租金は5,920円余,戸数は本籍668・寄留2・社8(郷社1・雑社7)・寺2の合計680,人口は男1,565・女1,483の合計3,048,牛600・馬3,船89(1,000石未満500石以上7・200石未満50石以上2・50石未満荷船80)。また炭鉱が8か所あり,学校は羽須和免に佐々小学校が設置され,生徒数は男145・女41,古川免には郵便取扱所があり,古跡として鳥屋城跡をあげ,神社は羽須和免に郷社の三柱神社があるほか,木場免に須佐神社,小浦免に姫神社,口石免に素盞嗚神社,羽須和免に鎮守神社・天満神社,古川免に天満神社,栗林免に北山神社が鎮座し,寺院は羽須和免に曹洞宗医王山東光寺,口石免に浄土真宗本願寺派清流山正福寺があり,民業は農業471戸・商工業197戸,物産は米3,222石余・大麦388石余・裸麦333石余・小麦45石余・大豆157石余・蕎麦59石余・粟37石余・塩700石・蜜柑50荷・柿実150荷・橙20荷と記される。明治22年佐々村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448292
最終更新日:2009-03-01




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