ケータイ辞書JLogosロゴ 外海(中世)


長崎県>外海町

 織豊期に見える地名。肥前国彼杵郡のうち。当時は「ほかめ」と称したか。天正12年島津・有馬連合軍は竜造寺隆信に勝利したのち,竜造寺支配下だった大村領の内海・外海の大部分もその手中におさめ,有馬家が管理するところとなった。その2年後の1586年(天正14年),大村純忠はこの地を回復したが,その次第をイエズス会士アフォンソ・デ・ルセナは回想録の中で,「この土地〈内海・外海〉は大村殿の領地であるけれども,その当時は薩摩の強大な殿の支配下にあった。この者はある機会にこれらの土地を大村殿から奪って,その支配を有馬殿に委せていたのである」「ドン・バルトロメウ〈大村純忠〉はこの機会に薩摩の支配下にありドン・プロタジヨの手中に委されている外海と内海の領地を回復することに決めた。それで薩摩と有馬および大村側にも若干の死者を出したが,前記の領地を取り戻した」と記し,この時は城将も領内の人々もキリシタンで大村純忠の家来だったので,彼はあまり骨を折らずにこれらの土地を取り返したと述べている(大村キリシタン史料)。フロイスは外海地方を指すのに「西方(Nixigata)」という語も用いている(1586年の報告書/イエズス会日本年報下)。イエズス会の史料では外海(Focame)はその地方の宗教活動の中心である神浦とほぼ同義に用いられている。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448533
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ