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- 田尾村(近世)とは
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田尾村(近世) 江戸期の村名日向国諸県【もろかた】郡のうち大淀川支流有水川流域に位置する下記の郷帳には田尻村と過って記載されている鹿児島藩直轄領高城【たかじよう】郷に属す村高は,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」,元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」ではともに田尻村と見え385石余このように幕府へ提出された郷帳類には当村名が見えるが,「薩藩政要録」や「島津家列朝制度」をはじめとする鹿児島藩の行政的な史料には当村名がほとんど見受けられず,藩領内では,有水村の一部として扱われることが多かった「旧高旧領」では上川村・宮原村と合わせて有水村として見え,村高は1,502石余現在の高城町有水の一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田尾村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入郡葎原【むぐらばる】郷のうち岡藩領大野川左岸の山間地の大野郡と直入郡との境に位置する村高は「正保郷帳」86石余,うち田4石余・畑81石余「見稲簿」「天保郷帳」同高直入郡狭田組に属す寛政3年の村高102石余・免7ツ4分,村位は下(名面帳)「旧高旧領」では大野郡のうちで112石余明暦年間,教専が東本願寺に請うて有縁寺を開く万治4年釈宗珍が明専寺を造営(豊後国志)明治4年大分県に所属同8年大塚村・上野村と合併,上尾塚村となる現在の大野郡朝地町大字上尾塚のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田尾村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡藤北郷のうち岡藩領代三五【だいさんご】山の北麓に位置する片島組に所属村高は「正保郷帳」80石余,うち田45石余・畑35石余,「見稲簿」80石余,寛政3年71石余,免5ツ2分,村位は中(名面帳)「天保郷帳」80石余,「旧高旧領」95石余明治4年大分県に所属同8年井野村ほか2か村とともに片島村に合併現在の大野郡大野町大字片島のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田尾村(近世) 江戸期の村名豊後国玖珠【くす】郡帆足【ほあし】郷のうち森藩領日出生【ひじう】川右岸の高原台地上に位置する村高は「正保郷帳」16石余,うち田10石余・畑5石余,村内に柴山・茅山がある「見稲簿」では日出生村の枝郷と見え27石余「豊後国志」には日出生村の枝村に田尾の名が見える「天保郷帳」では日出生村1,355石余に含まれる現在の玖珠郡玖珠町大字日出生のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田尾村(近世) 江戸期~明治初年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」