ケータイ辞書JLogosロゴ 田ノ古島(中世)


長崎県>野母崎町

鎌倉期に見える地名肥前国彼杵【そのぎ】郡のうち正安4年5月24日の深堀時願(時仲)・同時通連署譲状に「ひせんのくにとまちのうらのうち,たかはまあくりの事,四し……きた,たのこしまのさきうミをかけ候へく候」と見える(深堀文書/鎌遺21078)同文書によれば,深堀時仲から子息徳綱に譲られた「高浜阿久里」の北の境として「田ノ古島」の地名が所見され,この四至名としての田ノ古島は,正和3年3月日の深堀仲家(時家)重陳状案にも所見される(同前/佐賀県史料集成4)時仲の高祖父である上総国御家人深堀能仲が,承久の乱勲功地の替として,建長7年に肥前国戸町浦地頭職に補任され,その子行光が代官として入部して以来,深堀氏は,代官支配方式による戸町浦地頭職の経営を行ってきたが,正応2年に時光が所領所職を分割し,庶子配分支配方式に転換したその後,所領の分割が進んだが,時光の嫡子時仲が,庶子時綱に分割配分した高浜阿久里の四至名として田ノ古島が記されたものである現在の野母崎町野母の田子島または,三和町の田ノ古島に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448654
最終更新日:2009-03-01




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