ケータイ辞書JLogosロゴ 田結(中世)


長崎県>飯盛町

 戦国期に見える地名。肥前国高来【たかき】郡のうち。永禄元年〜元亀元年の間に発給されたと思われる8月22日付の有馬義直同義純連署書状写に「田結之事,明日可打崩之間,其折目伊佐早之事可輒候」と見える(福田文書/中世九州社会史の研究)。内容は不明な点が多いが,有馬方が伊佐早の西郷氏の勢力下にあったとみられる田結を攻撃しているようである。なお,1589年(天正17年),伊佐早の新領主の竜造寺家晴は,何の裁きもせずに家臣3人を処刑しようとしたが,その内の1人が逃亡し,イエズス会のマタ神父のもとで入信し長崎へ送られた。この処刑が執行されたのは「浜辺に沿ったタインと呼ばれる漁村」であった(フロイス日本史11)。「タイン」の地は飯盛町田結あるいはその隣の長崎市戸石に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448683
最終更新日:2009-03-01




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