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- 対馬国とは
「対馬国」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 対馬国【つしまのくに】 対馬海峡に横たわる山島の旧国名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 対馬国 律令制下では,対馬島として把握され,律令制の弛緩とともにしだいに対馬国の呼称が定着をみていったと考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 対馬国【つしまのくに】 (古代)3世紀に見える国名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 対馬国(古代) 3世紀に見える国名「魏志倭人伝」によると,対馬国は「対海国」と見え,朝鮮半島南辺の狗邪韓国より海路1,000余里に位置し,卑狗【ひこ】・卑那母離【ひなもり】と呼ばれる正・副の官人が統治していたまた,地勢は山が険しく深林が多く,道路は獣道程度であったという戸数は1,000余で,良田がないため,海産物を食べて自活し,船に乗って南北へ行き米を買うなどしていたことに海上交通路を通じて北は朝鮮半島,南は九州地方との文物の交流が活発に行われており,上県【かみあがた】町越高の縄文前期の遺跡から韓国の隆起文土器が出土,また豊玉町廻のヌカシ遺跡から櫛目文系土器が出土する一方,韓国釜山港外の絶影島にある東三洞貝塚の櫛目文文化層から縄文式土器が出土している事実は,これを物語っている(美津島町誌)弥生中期頃より浅茅湾沿岸を中心に開けたらしく,弥生中期・後期の遺跡(仁位・佐保・貝口・樽ケ原・玉調浦・島山・竹敷・洲藻・高浜など)が濃密に分布している古墳も浅茅湾の東南部と北部に大半が集中し,島の北端・南端に行くほど分布が希薄になる傾向がうかがえる現在の長崎県対馬に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」