ケータイ辞書JLogosロゴ 続浦村(近世)


長崎県>上五島町

江戸期〜明治11年の村名肥前国松浦郡のうち中世には次の浦と称し,続村ともいう中通島の西部に位置する地名の由来は不詳だが,地元では海岸線が浦々に続いていることによるといわれている(町内地名誌)平戸藩領村高は,「元禄12年郷村帳」26石余,「天保郷帳」46石余年貢率は4割,ほかに口米1升2合・欠米2升6合6勺,小物成・夫役が課せられるまた浜方は,漁師運上銀162匁(本役1・半役0.7で合計4人半)で1人当たり36匁,鰮網1帖の運上銀43匁,かなぎ網1帖14匁,地内には鰮網2帖・かなぎ網3帖がある竈方は,浜ノ浦竈納は銀332匁3分で納高戸数17,飯ノ瀬戸竈納銀335匁で納高戸数16(平戸一円領竈銀運上調)平戸領諸職人役帳によれば,紺屋運上10匁・糀屋運上15匁と商家運上が見られる弘化3年平戸浦領役人書置に,代官末永甚八,町年寄格伊藤助左衛門,惣領格伊藤助作,竈方に竈司田中庄右衛門,浜方に浜司伊藤助平が置かれたとある鎮守は菅原道真を祀る天満神社で,創建は寛文12年,ほかに塩竈・蛭子・金比羅の3社がある寺院は浄土真宗本願寺派明徳山円福寺,開基は万治3年平戸光明寺開基3室の徒弟真西文化10年の戸数137(家数調)慶応元年平戸一円・二方領人数調では人数939(男459・女480)明治4年平戸県を経て,長崎県に所属同年若松村の一部となるなお,当地は同18年若松村から分村した浜ノ浦村に属すことになる現在の上五島町続浜ノ浦郷・飯ノ瀬戸郷にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448738
最終更新日:2009-03-01




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