ケータイ辞書JLogosロゴ 堂崎(中世)


長崎県>有家町

 戦国期に見える地名。肥前国高来【たかき】郡のうち。フロイスは1584年(天正12年)の記事の中で,有馬の先,約半里のところに有家があり,「そこから日本の一里近く先に進むと,堂崎の城があり,そこで有馬殿の領地は他領と隣接している」と記し(フロイス日本史10),同年竜造寺隆信が戦死すると,それに与していた島原の城主は薩摩側と協議して,自分と部下の助命を条件に城を明け渡し,堂崎城の傍らに人質として留まっていたが,1,2か月後ひそかに佐賀へ逃げてしまったことを伝えている(同前,1584年8月31日フロイス書簡/イエズス会日本年報上)。豊臣秀吉のバテレン追放令後,布教が再開されてから,1588年(天正16年)日本人修道士が堂崎の城でも説教を行い,その一帯で改宗事業が進んだことが報告されている(フロイス日本史11)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448797
最終更新日:2009-03-01




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