ケータイ辞書JLogosロゴ 戸根村(近世)


長崎県>琴海町

 江戸期〜明治4年の村名。肥前国彼杵郡のうち。大村藩領。内海【うちめ】地区に属す。村高は「天保郷帳」では長浦村枝郷と見え44石余,文久2年内検高383石余,うち田高356石余・畠高27石余(大村郷村記)。「大村郷村記」では「長浦村之内戸根村」とあり,長浦村の枝村であったが,幕末には一定度独立した村として扱われることもあったのであろう。「琴海史雑考」によれば,慶長18年の耶蘇会年報に記載されているという戸根村のレジデンシア(布教所)は,戸根の見上の不動山のある古寺屋敷に比定されている。また戸根のマリナと言い伝えられた人物は,藩主大村喜前(キリシタン大名大村純忠の子)の姉である。戸根のレジデンシアでは41名がパードレ(伴天連)によって洗礼を受けたともいう。また戸根の城腰に金比羅大権現がある。「大村郷村記」によれば,文久2年の村況は,東西1里12町・南北22町余,広さ1,276町余,うち田地46町余・畠地34町余(うち切畠21町余)・山林野1,195町余,内検高の内訳は蔵入地98石余・浮地36石余・請地20石余・私領228石余,年貢上納は米263俵余・小麦57俵余,竈数91,うち小給2・私領87・寺内2,人数466(男232・女234),宗旨別人数はすべて法華宗,運上を納める諸職業の軒数は揚酒株1・塩問屋1,販売商品として大豆・芋・薪をあげ,船1があり,寺院は法華宗自証寺,神社は草富権現・七面社・水神・山神などがあると記される。明治4年西海・村松・子々川【ししがわ】の3か村と合併し,村松村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7448823
最終更新日:2009-03-01




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