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- 野崎(中世)とは
「野崎(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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野崎(中世) 戦国期に見える地名日向国諸県【もろかた】郡のうち天正14年3月21日,島津氏支配下の日向の穆佐【むかさ】地頭椛山忠助と飯田地頭福永宮内少輔との間で,当地の領有をめぐって相論が起こっている穆佐地頭は,当地が穆佐の高城に居住する野崎氏の開墾地であることを根拠に,一方,飯田地頭は,飯田5町の公役が伊東氏以来飯田に公役を奉じてきたことを根拠に,その領有の正統性を主張している(上井覚兼日記/古記録)当地は,現在の高岡町五町字野崎を中心とする一帯に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
野崎(中世) 戦国期に見える地名吉野郡十津川郷のうち天正15年豊臣秀長が実施した十津川郷検地の際に作成された検地帳に「和州吉野郡之内十津川村御検地帳野崎」と題するものが伝存する(風屋区有文書/十津川)高6石余とあるが,近世の村には継承されなかった近世初期の二村のうちにあったと推定されるが,比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」