ケータイ辞書JLogosロゴ 深江村(中世)


長崎県>芦辺町

 南北朝期〜戦国期に見える村名。壱岐国壱岐郡のうち。「正平神領図」では,西間老松天神の神領の中に「深江村」が見える(壱岐史拾遺)。「海東諸国紀」には,壱岐十三里の1つとして「侯加伊〈一百三十余戸〉」と記している。また,戦国期と推定される年未詳12月19日の豊崎両郡代宛て宗義調(一鷗)書状に「只今ふかへより小船渡海候」と見える(給人足軽百姓御判物写帳/県史史料編1)。なお,正平24年のものとされる壱岐国七社神領敷地定書には,呼子氏の領地として当地が見える(壱岐史拾遺)。また,旧国幣中社の住吉神社の摂社である軍越神社が,当村のほか住吉村・志原村にある。勧請年月は不詳だが,「軍越神事」という異敵調伏と国家安穏の神事があることから,元寇などの国難があってから後の創建であろう。当村付近には,島内最大の水田地帯である深江田原がある。現在の芦辺町の深江本村触・深江東触・深江栄触・深江南触・深江鶴亀触・深江平触を含む地域に比定される(壱岐国史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449231
最終更新日:2009-03-01




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