ケータイ辞書JLogosロゴ 三室村(近世)


長崎県>吾妻町

江戸期〜明治22年の村名肥前国高来【たかき】郡のうち島原半島の北西部,半島の中心部の雲仙山系の最北端小峰,吾妻岳の北麓に位置する当地は吾妻岳より北へ広がる扇状地にあり,田内川が北流し諫早【いさはや】湾(有明海)へ注ぐ三室台地には縄文時代〜弥生時代の遺跡が点在するが,海岸部の浜津遺跡(石棺群)や三室海中遺跡が有名また,古墳が多く散在していたが,破壊されているものが多いこのうち本村名の杉山古墳は古墳時代後期の横穴式円墳で,鉄鏃・鉄製鍔・刀子・勾玉・管玉・ガラス玉・金環・銀環などが出土している島原藩領北目筋に属す村高は,正保2年肥前国高来郡之内高力摂津守領分図329石余,うち本村181石余・木場村148石余,宝永4年329石余,うち田236石余・畑93石余(島原様子書),「安永3年郷村帳」329石余,ほかに新田34石余,「天保郷帳」365石余,「旧高旧領」366石余「島原様子書」によれば,島原までの陸路5里27町,村内は本村・木場の2名に分かれ,反別は田31町余・畑22町余,卯年(寛政7年)改の新切19町余うち田9畝余・畑17町余,百姓屋床地子免許反別1町余,農間余業は男は茅・薪取,女は木緬布織,草刈場300町余で守山村・伊福村・西郷村入会,米津出は当村浜より島原湊まで海路6里,文政6年改の家数336・人数697(男346・女351),牛24・馬137,鉄砲2明治4年島原県を経て,長崎県に所属同7年の人口847,三室学校設立,生徒数は男60・女6(学務課事務簿)同11年南高来郡に属す「郡村誌」によれば,村の幅員は東西5町半・南北1里25町,地勢は「南方ニ吾妻岳ノ地脈ヲ負ヒ,北方ニ傾キ海ニ臨シ,西方平地ニ連リ,地勢概ネ平坦,運送便利,薪ニ乏シ」,地味は「本村〈字ナリ〉ハ黒土ニシテ重シ,木場ハ黄土ニシテ軽シ,皆磽埆ヲ含ミ地浅ク土質劣ル,稲・粱ニ宜ク,大小豆及茶ニ適ス,水利ニ便也,田方往々旱損有リ」と記され,村内は本村・木場に分かれ,税地は田31町余・畑47町余・宅地3反余・山林1反余の合計79町余,改正反別は田37町余・畑56町余・宅地7町余・雑種地1反余などの合計101町余,地租は米282石余・金183円余,国税金は109円余,改正租金は746円余,戸数は本籍169・社3(村社1・雑社2)の合計172,人口は男454・女416の合計870,牛67・馬94また,神社は村社の剣柄神社のほかに平江神社・岩戸神社が鎮座,学校は三室学校が設置され,明治9年の生徒数は男35・女10,民業別人数は農業のほか商業9・工業5,物産は馬20頭を諫早へ,牛15頭を長崎そのほかへ,櫨1万2,000斤・慈姑10石・牡蠣10石を他村へ,素麺3万斤を諸方へ移出し,莨少々などを産すると記されている明治22年守山村と合併し,市制町村制施行による守山村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449475
最終更新日:2009-03-01




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