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- 横田町(近世)とは
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横田町(近世) 江戸期~明治8年の町名江戸期は松本城下のうち町人町東町の枝町東町・和泉町の裏に位置する南北の町である「信府統記」には裏町とあり「北ヲ上横田町,南ヲ下横田町ト云フ」とある横田町という呼称は,女鳥羽川の東にあった横田村にちなみ,城下町の町割りをした時に同村から人家を移したために付けられた町である町の長さは,上下横田合わせて7町23間3尺・町幅3間,家数195軒であった上横田町・下横田町の境は恵光院山門前の塩屋小路であった横田町は寺町でもあった南から下横田東側に浄土真宗正行寺・臨済宗恵光寺,上横田町東側に浄土宗林昌寺・浄土真宗長称寺があった正行寺は承元3年佐々木四郎高綱が筑摩郡南栗林村に開いたと伝えられ,松本城主石川数正の時に,三の丸の南六九の地に移して菩提寺とし,のち現在地に移されたまた,この寺は明治初年の排仏毀釈に際して,住持佐々木了綱が抵抗して廃寺を免れた寺でもある明治8年北深志町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」