ケータイ辞書JLogosロゴ 吾平(中世)


熊本県>菊鹿町

 南北朝期に見える地名。山鹿郡のうち。永徳元年7月日の橘大崎公安軍忠状(小鹿島文書/九州史料叢書28)に「同(永徳元年)四月廿二日城野仁対城被占時供奉仕,其後吾平河内同城野城没落之時御共仕,同六月廿二日夜,隈部城菊池武興以下凶徒没落刻致宿直」とあり,橘公安は,隈府【わいふ】城(現菊池市)の菊池武興(武朝)追討のため今川了俊・同仲秋に従って板井(現七城町)から城野城(現菊鹿町)や当地を転戦し,隈府城を攻め落としている。なお,当地の相良寺は中世相良山と呼ばれ,正平3年6月23日の恵良惟澄宛五条頼元書状(阿蘇文書/大日古13‐2)に「宮御所(懐良親王)依御願事候,自去十二日御参籠吾平山候き」とあり,懐良親王が戦勝祈願のため参籠している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449726
最終更新日:2009-03-01




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