ケータイ辞書JLogosロゴ 相良村(近世)


熊本県>菊鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。山鹿郡のうち。熊本藩領。もとは上内田村の枝村で分村の時期は未詳。村高は「旧高旧領」538石余。「肥後国誌」によれば中村手永に属し,上内田村のうちとあり,高538石余,小村に本村・竹下村・今村・西谷村などがある。また宝暦11年の田畑地引合改見図御帳(県立図書館蔵文書)によれば,小村に馬場東・西谷・岳下・打越・下原・宮坂などがあったが,総田畑のほぼ半数を下・下々の等級が占めるため,好耕地を求めて上内田村などに出作りする者も多かった。社寺祠堂は,阿蘇一宮大明神・山王社・阿弥陀堂・薬師堂など(国郡一統志),ほかに相良寺があった。同寺は細川氏の祈願所として古くは隆盛を極めたが,明治4年の排仏毀釈により本堂を残すのみとなった。安永年間には山鹿郡三十三ケ所観音第33番札所となっていた(鹿郡旧語伝記/鹿本郡郷土研究資料1)。なお安政年間には米・粟・麦・大豆・小豆・蕎麦・大根・唐芋・麻・芋・茄子・瓜類を作っていた(中村手永稼穡調書/肥後藩の農業構造)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田38町余・畑35町9反余,戸数137・人数649,牛8・馬138,字馬場西に人民共立小学校があり,生徒数は男35・女18,物産は穀類のほか甘藷・蘿蔔・楮皮・柿・麻布・蜂蜜など,民業は農業120戸・桶職2戸など。同22年の田畑73町8反余・宅地7町6反余,戸数109・人口539(県公文類纂/県立図書館蔵文書)。なお明治10年の農民一揆,いわゆる戸長征伐では,山内村・長村からの民費不当徴収追及の呼掛けに応じて小学校に全員が集合し,11名の代表が副戸長と交渉などを行った。同22年内田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449727
最終更新日:2009-03-01




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