ケータイ辞書JLogosロゴ 赤井村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」304石余,「正保郷帳」も同高でうち田250石余・畠53石余,「天保郷帳」313石余,「旧高旧領」438石余。「肥後国誌」では鯰手永に属し,高428石余,神社は二之宮,寺院は臨済宗臨川庵。木山町村の木山神宮を氏神とする。当地の湧水を水源とする藻川は赤井川と合流,さらに加勢川となり,熊本藩御蔵のある在町川尻まで舟運が盛んであった(上益城郡誌)。地内には舟場などの地名が残る。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年木崎村を合併。同10年の西南戦争では一時戦場となった(薩南血涙史・西南役と熊本)。同11年における字赤井の木崎小学校の生徒数は男24・女9(県教育史)。「郡村誌」によれば,田84町2反余・畑27町8反余,戸数163・人数808,牛8・馬182,日本形船12,水車3,用水は船野溜池を利用,字宮園に人民共立小学校があり,生徒数は男30・女14,物産は米・大豆・小豆・裸麦・小麦・大麦・粱・甘藷・櫨実など,民業は農業147戸・大工職4戸・石工職2戸・左官職1戸・畳刺職1戸・水車職3戸・紙漉職5戸など。豊富な湧水と水路を利用して紙漉や水車による製粉・精米が行われた。明治22年飯野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449737
最終更新日:2009-03-01




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