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「赤崎村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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赤崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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赤崎村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方北部,会津盆地北部,押切川西岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領五目組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録で210石余,文化15年の村日記(県史10下)では331石余,「天保郷帳」315石余,「旧高旧領」345石余当村は北から上赤崎・中赤崎・下赤崎の3集落に分かれ,化政期の家数はそれぞれ13軒・6軒・8軒である村の西部にある赤崎林は会津藩領第一の赤松林で赤崎村および上三宮村・吉志田村・鷲田村・下谷地村・五目村・根岸村・針生村・上野村・金屋村の地にわたり,この松の木を切ることは禁止されている赤崎林の中を南北に熱塩街道が通り,街道の西側に南の上三宮村から北の金屋村まで昔赤崎村の豪族瓜生出雲が建立したとされる石室観音と呼ばれる三十三観音の石像がある下赤崎の南には熱塩街道の一里塚がある麓山神社は村の南部にあり,4座が相殿としてまつられている銭神【ぜにがみ】壇は村の北部にあり,瓜生出雲が銭を埋めた所と伝えられる(新編会津)明治8年宇津野村・栗生沢村と合併して山田村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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赤崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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赤崎村(近世) 江戸期~明治7年の村名葦北郡のうち日当川・赤崎川の河口に位置し,八代【やつしろ】海に面する熊本藩領隣接する平国村に含められて「平国赤崎村」と称され,その高は,「寛永郷帳」259石余,「正保郷帳」も同高でうち田207石余・畠51石余,「天保郷帳」282石余「旧高旧領」では「赤崎村」とあり,42石余「肥後国誌」によれば津奈木手永に属し,平国赤崎村のうちとあり,高39石余,権現社・夷堂・阿弥陀堂・観音堂のほか赤崎城跡などが記され,「海辺船着也」とも見えるなお寛永18年の芦北郡津奈木村小村切高物成人畜御帳(徳富家文書)による当村分の高は40石余,人数39で,真綿4匁余の小物成も記される熊本県,八代県を経て,明治6年白川県に所属同7年の戸数159・人口821(津奈木町役場蔵文書)同7年福浜村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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赤崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」