ケータイ辞書JLogosロゴ 赤瀬村(近世)


熊本県>宇土市

 江戸期〜明治22年の村名。宇土郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」101石余。「肥後国誌」によれば郡浦手永に属し,高77石余,小村に平岩村・古屋敷村などがある。天保8年の郡浦手永略手鑑(辛川家文書)によれば,高77石余,竈数50・人数283。なお平岩村の海岸は一面に畳を段々に敷き広げたように平板な岩が続いており,村名はこの形状によるものかと思われる。字広刈の山の神付近に,かつて上番所が置かれていたが,「肥後国誌」には高良村へ移ったとある。寛政4年の津波では,流失家屋8軒・溺死3人(熊本県潮害誌)。山がすぐ海に迫り,住家が主に山の傾斜地にあったことが被害を少なくした。なお明治10年の西南戦争では,敗走の薩摩軍の一隊が上陸したため,海上から政府軍の軍艦が砲撃し,民家の大部が焼失する災禍を受けた。砲弾は,下網田村・上網田村にも落下し,住民は大騒ぎをして山中に逃げたという(網田村郷土史)。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田10町5反余・畑17町2反余,戸数73・人数380,牛52,日本形船13,物産は穀類のほか薪・黒砂糖・甘藷・蘿蔔・柴など,民業は農業68戸など。同22年網田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449748
最終更新日:2009-03-01




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