ケータイ辞書JLogosロゴ 赤星村(近世)


熊本県>菊池市

 江戸期〜明治22年の村名。菊池郡のうち。熊本藩領。天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)では高1,004石余,慶長9年の検地帳(同前)では高969石余うち田385石余・畠584石余。その後の村高は,「寛永郷帳」969石余,「正保郷帳」も同高でうち田385石余・畠584石余,「天保郷帳」993石余,「旧高旧領」1,054石余。「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高1,010石余。また文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高1,010石余,新地出高44石余,請免は555石,竈数120・人数610,駒1・駄馬152,渡舟1(肥後藩の農村構造)。今村との境界近く,菊池川の中州と結ぶ赤星井手口磧がある。赤星井手は,加藤清正が領主の頃に堰入れされ,村内を貫流する。その下流深川村との間には菊池磧がある。そのすぐ下に赤星橋が架かるが,深川村との間は赤星渡しが結んだ。またその下流には,中州をまたがって,下御簗磧が赤星村側から延びていた。肥後国中絵図(県立図書館蔵)によれば,陸路には,現泗水町高江から合志【こうし】川沿いをさかのぼり,万太郎坂を越え,当村から隈府【わいふ】に入る迂回路があった。安政6年高山蘭痴は家塾帯経耕処を開き,漢学を教授した。のち菊池郡教導となり,毎月3日に御用宅に出て講義した(新編菊池郡誌)。また天保年間から明治6年頃まで,高宮謙受・赤星郭円・緒方下総らが開いた習字の寺子屋もあった。寺院に浄土真宗西派清流山正林寺がある。赤星氏没落後,一族の林隆安が慶長18年に小祠を建立,東福寺の僧空正を開基とし,2代空順の時に正林寺と号した(同前)。天和2年の火災後,享保3年に本堂,明和8年に楼門を再建した。集落の西に菅原神社がある。このほか同社境内の今宮神社や真弓野の菅原神社などもあり,当村では多くの宮座が発生している。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治6年出田村・今村と当村の間で水争いが続発,互いに相手村へ大勢が押し出す騒ぎとなった。同7年赤星小学校が開校,同18年今・木柑子【きこうじ】の両小学校と合併,菊南小学校となった。同22年戸崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449758
最終更新日:2009-03-01




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