ケータイ辞書JLogosロゴ 秋唯村(近世)


熊本県>御船町

江戸期〜明治9年の村名上益城【かみましき】郡のうち秋只村・秋忠村とも書く(肥後国誌・国郡一統志など)熊本平野南東部,縁川と支流御船川の合流点付近に位置する村名は秋只山にちなむという熊本藩領村高は,「寛永郷帳」357石余,「正保郷帳」も同高でうち田169石余・畠108石余,「天保郷帳」も同高,「旧高旧領」573石余なお藩主細川氏の一族長岡内膳が地米高578石余を知行していた(肥陽諸士鑑/肥後読史総覧)「肥後国誌」によれば鯰手永に属し,高573石余,小村に沼辺があるまた文政8年頃の益城上郡手鑑によれば,高573石余,反別は田22町7反余・畑21町9反余,家数49・人数197,馬36(綾部家旧蔵文書)小村沼辺に沼辺大明神社がある往昔,神功皇后の三韓遠征に甲佐末社として従軍,甲佐軍凱陣の際に同地へ上陸,当時海辺であったことから沼辺と名付け,阿蘇3神を祭祀して沼辺大明神と号したと伝える同社境内に三王社があるまた日吉神社もあり,寛文5年創建説のほか,寛永4年長岡忠恒・忠春が創建したとも伝える寺院には,忠春が再興して菩提所としたと伝える臨済宗祥雲山瑞岩寺があったが,元禄15年島崎村に移転した(肥後国誌)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年豊秋村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449780
最終更新日:2009-03-01




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