芦原(中世)
室町期から見える地名。山本郡のうち。初見は寛正7年正月23日の菊池為邦充行状(五条家文書/纂集)で,五条良興に「泉庄之内八丁・芦原四町」を恩補として宛行っている。以来この地は五条氏の知行地として維持され,年未詳正月22日付の大友義鑑袖判のある五条氏所領坪付(同前)に「〈本地〉一所 芦原 四丁」,天文12年10月16日の五条鑑量の肥後国内本地坪付(同前)にも「〈芦原〉一所 四町」と見える。なお「事蹟通考」所収の五条系図によると,五条氏の山本郡知行は,享徳年間の頼経の時期にさかのぼるという。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449806
最終更新日:2009-03-01