ケータイ辞書JLogosロゴ 綾野郷(中世)


熊本県>阿蘇町

 室町期に見える郷名。阿蘇郡西郷のうち。阿屋野とも書く。建武3年3月11日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇文書/大日古13‐1)の下田常陸介の沙汰分の西郷の1つに「一所十町 綾野・小陣郷」とあるのが地名としての初見。応永16年9月日の肥後湯浦郷阿蘇社役注文(同前)では,「同西郷社役事」に「一所五町あやの」とあり,社役分5町として把握されており,これは中世を通じて変化していない。至徳2年8月7日の阿蘇社領郷々注文(同前)には,「一所あやの五丁」の知行人として「さか井のさえもん三らうちきやう なんかう御たい,なかゝのたいちきやう」と見え,坂井左衛門三郎,南郷にあった北朝大宮司惟村の代官,および「なかゝ」の代官の3名が知られる。郷名の初見は応永9年卯月日の阿蘇社造営料木郷村支配注文案(同前)で,「おくら・あやのゝかう分」として料木27支が宛て課されている。また応永16年9月26日の阿蘇社領権大宮司方催促方田数坪付注文(同前)では,「あやのゝかう田数五町」の給人として松崎左京方の名が見え,当郷は3反が当作,4町7反が不作,居屋敷一所は在百姓と記されており,阿蘇社の8月放生会の垂布1反を権大宮司方へ納めている。文安5年8月18日の阿蘇社造営木屋勤仕人数番定(同前)の18番に久木野因幡守が綾野の知行人として記される。このほか社役として正平7年2月吉日の阿蘇社上葺等次第(同前)では,北四宮面之分に「綾野」と見えるのをはじめ,阿蘇社造営の際には材木などを負担している。下って文明4年8月25日の阿蘇山本堂造営棟別料足日記写(同前/大日古13‐2)では,山田・小蔵と合わせて家数200とされ,代2貫を宛てられている。また同16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前/大日古13‐1)では,「八御宮之分霜御宮同前」の1つに「一所あやの〈もミ〉五升」とある。天文14年10月20日の阿蘇社対面所造営料木切符次第写(同前/大日古13‐2)では,「阿屋野五町」とあり,野中などと寄合で料木を納めている。また同23年8月7日の阿蘇社造営料木郷々支配注文(同前/大日古13‐1)でも「あやの・小蔵・りうまんかた分」として料木を宛て課されている。年月日未詳の阿蘇社年中神事次第写(同前/大日古13-2)では,流鏑馬役を小倉・立田方とともに8番として勤めており,戦国期と推定される年月日未詳の阿蘇社神事注文写(同前)では同様に14番として勤めている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449859
最終更新日:2009-03-01




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