ケータイ辞書JLogosロゴ 伊倉南方(中世)


熊本県>玉名市

 室町期から見える地名。玉名郡のうち。伊倉荘南方とも見える。応永17年12月3日の足利義持御教書(小代文書/県史料中世1)に「伊倉庄南方小原村」と見え,当地などが小代広行に安堵されている。下って戦国期と推定される年未詳5月3日付の重賢書状(願行寺文書/県史料中世1)に「当寺御本尊灯油田一町之事,伊倉南方卅八町之内ニ候」とあり,願行寺の本尊の灯油田1町が当地の38町のうちにあった。同じく年未詳6月8日付の久長書状(同前)には「当所卅八町之内ニ,御寺領十五町之事,無其紛候」と見え,願行寺の所領が当地の38町のうちの15町であったことが知られる。天正初年と推定される年未詳7月11日付の城久基知行預ケ状写(内田文書/県史料中世2)には「伊倉南方三拾八町之内次郎丸名三町預進之候」とあり,当地の38町のうちの次郎丸名3町が城(内田)刑部少輔(頼忠)に預けられている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449922
最終更新日:2009-03-01




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