ケータイ辞書JLogosロゴ 池田村(近世)


熊本県>菊鹿町

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち木野川の支流池永川の中・上流左岸に位置する灰塚古墳(未発掘)があり,同地は永禄2年の合瀬川合戦で隈部親永が本陣とした所でもある隈部勢は道場に陣する赤星親家を夜陰に乗じ大雨のなかを奇襲し,居去方面へ敗走させたという(隈部軍記/肥後古記集覧)熊本藩領村高は,天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)で200石余,慶長9年の検地帳(同前)と「寛永郷帳」とも199石余,「正保郷帳」も同高でうち田133石余・畠66石余,「天保郷帳」200石余,「旧高旧領」211石余「肥後国誌」によれば深川手永に属し,高209石余,小村に東村がある竜徳村・木山村・道場村・大林村の各村から当村へ入作したため,耕地は錯綜し,江戸中・後期には酒造野は竜徳村,長山は木山村,四坊ノ原は道場村の小村となっていたなお文化11年の家数38・人数168,牛4・馬34,氏神は松尾宮,ほかに観音堂がある(深川手永手鑑/肥後藩の農村構造)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属江戸期からの土地混交が地租改正に支障をきたしたため,明治9年竜徳村のうち酒蔵野,木山村のうち永山19戸,道場村のうち四坊ノ原14戸と合併して池永村の一部となる(県公文類纂/県立図書館蔵文書)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449936
最終更新日:2009-03-01




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