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石野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石野村(近世) 江戸期~明治9年の村名陸奥国鹿角【かづの】郡毛馬内【けまない】通のうち南部藩領花輪盆地を出て西流する米代【よねしろ】川右岸に位置し,国鉄花輪線や津軽街道(国道103号)の通る断崖女神【めがみ】の対岸に当たる「猿賀神社縁起」には仁徳紀に上毛野田道が蝦夷と戦って敗死したと見える伊寺水門【いじのみなと】とはここであるという村の下流に対岸松山に渡る石野渡【いしのわたり】があり,舟守小屋が建っていた「邦内郷村志」の記述によると蔵入高7石余,馬4,戸数14寺院は曹洞宗金竜山積昌寺(大湯大円寺末で盛岡報恩寺支配),浄土真宗善応山理念寺(盛岡本誓寺末)があり,神社は伊勢宮・稲荷社・山神社別当と認められる修験常覚院がある白根銅山には掘子の家数100戸があった「奥々風土記」にも,昔は黄金と白金(銀)を産出したが,今は大方銅だけになっていると記している地租改正を機に明治9年瀬田石【せたいし】村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石野村(近世) 江戸期~明治7年の村名山本郡のうち合志【こうし】川支流の豊田川左岸に位置する熊本藩領もとは吉松村の一部という村高は「旧高旧領」812石余「肥後国誌」によれば正院手永に属し,高806石余,小村は太郎丸村・平尾村・今泉村・末古閑村・砥用【ちようよう】村・堀内村・小トウシ村・笠松村・生部村・五郎丸村など,氏神は天満宮,寺院に天文7年祐念開基という浄土真宗西派光勝寺があるなお文化10年に味取新町(植木町)から当村へ手永会所が移転してきた文政9年の正院手永手鑑帳(肥後国郷村明細帳1)では,高803石余,反別は田23町5反余・畑40町9反余熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年亀甲村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」