ケータイ辞書JLogosロゴ 板井村(近世)


熊本県>七城町

 江戸期〜明治9年の村名。合志郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」932石余,「正保郷帳」も同高でうち田549石余・畠383石余,「天保郷帳」975石余。「旧高旧領」では「坂井村」と見え921石余。江戸末期までに三万田村を分村したと思われる。加藤氏の時代に合志郡十組のうちに当村を中心とする板井組があり,細川氏入国後もしばらくは合志郡の行政区画としての板井五右衛門手永があった。「肥後国誌」では竹迫【たかば】手永に属し,高894石余,前川・岩瀬・鍛冶迫・伊島・蛇塚の小村が見える。寛永10年の人畜改帳によれば,高747石余,家数30うち寺院1。寛永14年の見図帳(県立図書館蔵文書)によると,反別27町余うち上田8町余・中田5町余・下田12町余。台地の北西端の山林に城跡があり,その中心部に板井熊野座神社がある。祭神は伊邪那美神ほか,創立は文亀元年という(菊池郡市神社誌)。境内の石製手水鉢には寛保年間,石灯籠には天保年間の銘が各々ある。字平屋敷にある浄土真宗本願寺派遠慶寺は大永2年の創立と伝え延寿寺と称していたが,その後寺宇が熊本へ移ったため寺跡に堂宇を再興,天明8年寺号を遠慶寺と改め,天保16年本堂が再建されたという(菊池郡誌)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年亀尾村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449992
最終更新日:2009-03-01




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