ケータイ辞書JLogosロゴ 板楠村(近世)


熊本県>三加和町

 江戸期〜明治22年の村名。玉名郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」757石余,「正保郷帳」も同高でうち田629石余・畠128石余,「天保郷帳」768石余,「旧高旧領」1,267石余。江戸末期までに上板楠村を分村。「肥後国誌」では南関手永に属し,高1,261石余,小村に西光寺・木下・日南・中園・庄屋・古閑屋敷・小原・池上・横枕・城原・今古閑・漆尾・倉園・外園・棚田・打越・灰田・柴中・桑津留・台の各村が見え,地内に和仁親実の家人松尾日向の墓,筑後国立花宗茂の家人由布惟清の墓があると記す。同書には当村のうちとして上板楠村が別記される。氏神の板楠熊野座神社は承保年間菊池肥後守則隆の勧請という。平葉山にある浄土真宗本願寺派正念寺は,慶長2年岡原城主の子板楠景次の創立。棚田の同宗同派法立寺は,寛永16年僧道善の創立で,坂本城主辺春能登守の菩提寺。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田86町2反余・畑37町9反余,戸数167・人数748,牛1・馬84,字柴中に人民共立小学校があり,生徒数は男44・女6,物産は穀類のほか甘藷・里芋・蘿蔔・柿・櫨実・梨子・栗・菎蒻芋・梅・楮皮・鎌・庖丁・釘・瓦・延形紙・場形紙・茶・猪・鳩・麹・生糸など,民業は農業66戸・紙漉職78戸・染物職2戸・鍛冶職1戸など。同22年緑村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7449995
最終更新日:2009-03-01




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