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- 板屋町(近世~近代)とは
「板屋町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 板屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は熊本城下古町中古町懸の一町で,明治12年熊本区,同22年からは熊本市の町名となる小沢町と細工町1丁目をつなぐ東西の町人町材木商がいた町...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7449999]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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板屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名江戸期は和歌山城下内町のうちの町人町で,明治12年和歌山区,同22年からは和歌山市の町名となる和歌山城の北部に位置し,北は西鍛冶屋町,東は西ノ店,南は卜半【ぼくはん】町,西は橋丁に接する東部には,中橋から鷺ノ森に至る道路中橋筋が通る江戸期には大工が多く居住し,板屋町組を組織していた(旧県誌)町名の由来となった板屋商人に関連する明治6年には戸数97,男170・女166大正2年102戸・438人昭和20年7月の空襲では全町焼失の被害をうけた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
板屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名蒲生【がもう】郡八幡【はちまん】町66か町のうち(郡町村区別簿)地名は材木商人が多く居住したことによる(輿地志略)明治5年滋賀県に所属同13年の戸数27・人口58(物産誌)同22年の町制施行後も引き継がれ,昭和29年現行の近江八幡市板屋町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」